平成26(2014)年8月1日 開局  
     
   
     
  北方領土返還 特集ページ  
     
  2月7日は「北方領土の日」   
   北方領土の返還を求める多くの人たちから、返還運動を盛り上げるため「北方領土の日」を設けるべきだという強い要望を受けて、昭和56年(1981年)に、政府は閣議了解により、2月7日を「北方領土の日」に定めました。
この2月7日は、安政元年(1855年)に日露両国の国境を平和裏に定めた「日魯通好条約」が伊豆の下田で署名された日です。
 
     
  北方領土問題とは・・・    
    北方領土とは、北海道本島の北東洋上に位置する、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の四島です。
 北方領土は、日本がロシアより早くその存在を知り、多くの日本人がこの地域に渡航し、生活をし、父祖伝来の地として受け継いできたものです。
 今から160年以上前の1855年2月7日、日本とロシアは日魯通好条約を結び、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認しました。それ以降も北方四島が外国の領土となったことはありません。
 しかし、昭和20年(1945年)8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から9月5日までの間に北方四島のすべてを占領しました。
 そして、ソ連は昭和21年(1946年)に四島を一方的に自国領に「編入」し、当時四島全体に約1万7千人住んでいたすべての日本人を強制退去させました。
 それ以降、今日に至るまでソ連・ロシアによる法的根拠のない占拠が続いており、北方領土問題が存在するため、日露間では、いまだ平和条約が締結されていません。
 
  (参考:独立行政法人 北方領土問題対策協会 発行冊子『北方領土』)   
     
  北方領土の元居住者    
    北方領土には、終戦時3,124世帯、17,291人の日本人が住んでいました。(平成20年3月千島歯舞諸島居住者連盟調べ:元居住者の人数は、昭和20年8月15日現在において6月以上北方四島に居住していた者の数)
 島民の約半数は、ソ連軍の厳しい監視の目をくぐって故郷の島々を脱出しました。それ以外の島民はそのまま残りましたが、昭和22年から23年にかけて劣悪な環境の樺太経由の引き揚げを余儀なくされました。現在では日本の領土でありながら日本人は一人も住んでいません。
 
   (参考:独立行政法人 北方領土問題対策協会 発行冊子『北方領土』)  
     
   北方領土問題についての政府基本的立場    
   歯舞群島、色丹島、国後島及び択捉島からなる北方四島は、いまだかつて一度も外国の領土となったことがない我が国固有の領土である。我が国としては、北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するという一貫した基本方針の下、強い意思をもってロシアと交渉を進めていく。

平成5年(1993年)の東京宣言以降、日露間においては「北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」という共通の交渉指針を繰り返し確認している。
同宣言は、北方領土問題を、(1)歴史的・法的事実に立脚し、(2)両国の間で合意の上作成された諸文書、及び(3)「法と正義の原則」を基礎として解決するという明確な交渉の指針を示している。

北方領土問題の解決に当たって、我が国としては、(1)北方四島の日本への帰属が確認されれば、実際の返還の時期、態様については、柔軟に対応する、(2)北方領土に現在居住しているロシア人住民については、その人権、利益及び希望を、北方領土返還後も十分に尊重していくこととしている。
 
    (参考:独立行政法人 北方領土問題対策協会 発行冊子『北方領土』)  
     
    先人たちが築いた北方領土  
   日本が北方領土を含む北方の島々のことを知ったのは、今からおよそ390年以上も昔のことと言われています。これは松前藩の「新羅(しんら)の記録」によって明らかです。
 正保元年(1644年)に江戸幕府は「正保御国絵図」を編纂するため、諸藩に「国絵図」の提出を命じましたが、このとき松前藩が幕府に提出した自藩領地の地図には「くなしり」、「えとほろ」など39の島々が書かれています。
 ロシア人が初めて千島列島を探検したのが享保6年(1721年)ロシアの探検隊が作成した地図には、北方の島々が「オストロワ・アポンスキヤ」(日本の島々)と明記されています。
 1700年代の後半になると、幕府はみずから北方の島々の経営に本格的に取り組むようになり、国後島、択捉島を中心に最上徳内、近藤重蔵、高田屋嘉兵衛のような勇敢な日本人が活躍しました。
 このような歴史的事実と当時の実情を踏まえて、安政元年(1855年)に平和的な話し合いの結果、日露間に初めての国境が決められたのです。 
 
   (参考:独立行政法人 北方領土問題対策協会 発行冊子『北方領土』)  
     
  北方領土の日啓発ポスター  
  ポスター@  
   
  ポスターA  
     
     
  北方領土問題に関する寄稿文   
   浜谷 英博先生に、当本部の機関誌である『神政連おおさか』に全4回の寄稿文を寄せていただきました。  
  【 筆者の紹介】
浜谷 英博(はまや ひでひろ)氏
昭和二十四年稚内市生まれ。三重中京大学名誉教授・防衛法学会副理事長。
専門は憲法・防衛法。著書に『米国戦争権限法の研究』、『要説国民保護法』、『災害と住民保護』(共)等の他、憲法、防衛法に関する論文多数。また、国会における公述人や参考人、自治体主催の多数のフォーラム等で基調講演等を務める。
 
            1回 北方4島の地理的概要と歴史経緯   
   
            2回 北方領土が日本に一番近づいた日  
   
            3回 対日交渉におけるロシアの本音と北方領土の軍事拠点化  
   
            4回 日ロ首脳会談の積み重ねと北方領土『返還』への道